『当稲荷さんは東京赤坂新町、法泉寺第33世の叔父・叔母が第二次世界大戦以前、江戸時代に日蓮宗「喜妙講」設立勧請した。霊験あらたかで参拝者多かったが、叔父・叔母が逝去と共に解散。後に法泉寺第33世住職晋山(入寺)の際に法泉寺に改めて勧請した』と記録されています。
戦後より法泉寺を守護する稲荷尊天。立派な細工の施された社(やしろ)は、当時「喜妙講」が多くの参拝者で賑わっていたことを物語っています。
現在も、通りかかる方は皆、ふと、足を止め手を合わせお参りします。昔も今も人々に与える影響力は大きく、お力の強いお稲荷様であると、日々実感しております。